達磨さん
2009-08-17


禺画像]
鞆ヶ浦からの遊船のコースに達磨さんがいる海蝕洞窟がある。

洞窟の中、テラス状の台の上に大きな岩があり達磨さんの格好をしている?
 個人的にはリンゴに見えるのだが?

とても変わった姿の岩でどういう訳であんな格好になるのか不思議だった!

今回の船頭さんが話すには・・・昔はあの岩の横の土俵があり祭りの時には相撲を取っていたとの事?
説明されて見ると、なるほどちゃんと階段がある!

話を聞いて驚いた!
ココで奉納相撲をしていたのは「古龍」の人達らしい?

そして、達磨さんは古龍の人達が作った物だという!

ノミと鎚で石を細工する技術を持った人達が古龍に住んでいて各地の鉱山へココの人達が出掛けていったらしい?

石見銀山の職人が佐渡金山へ行って指導したと言う話があるけれど?
その人達が古龍の住人のようだ?

佐渡金山の開発が進む時期と古龍が銀山史から消えて行く時期がリンクしているのも興味がある?

大内氏の支配から毛利氏の支配へ変わる頃、そして江戸時代初期に古龍は過去の港になっていたって事だから?

大久保長安が甲州から技術者集団を引き連れて石見銀山へ来た頃に、この古龍の人達が集団で佐渡へ渡ったと言い伝えに残っている・・?

この辺りの盆踊りは平家物語で節回しや踊りも独特の物だが、佐渡の盆踊りが似ているらしい?

戦国末期から江戸初期の事を昨日のように話すと言うのも面白いが?
そう遠くない昔、土俵が有りその柱がまだ残っている?

古龍千軒と言われる場所がとて引きつける物があるのは・・ そう言う事かなあ?

大昔、落盤した岩を達磨に加工する技術を持った人達がココにいた?
その人達は祭りにこの場所で奉納相撲をしていた?
その人達がある時期に集団で佐渡に渡った?

疑問に思うのは何時頃から古龍に人が住んでいたのだろう?
もしかすると神谷寿禎が鞆ヶ浦に上陸した理由がソコにあるとしたら面白いなあ!
[石見銀山とその周辺]

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